自分のことは半分しかわからない
「自分のことは自分が一番よく知っている!」そんな風に思う人も少なくないでしょう。でも自分についての自己評価と他者評価が異なることは珍しいことではないはずです。人は何かを見て理解する時、どんな人でも先入観を通してその対象を評価するものだからです。先入観にそぐわない情報は見落としてしまって気づかないことも少なくないのです。
自分でわかるのは半分ぐらい
「ジョハリの窓」という考え方を知っていますか?
下記の表をみてください。自分が知っているのは1と2だけです。3と4の自分については気づいていないのです。
自分のことを好きになれなかったり、認められなかったり、逆に他人のことを好きになれなかったり、認められなかったりする時は、自分やその人の一部の情報しか見ていないことも多いのです。
ジョハリの窓 | |||
1 | 自分 ◯ 私ってこんなところがあるの 自分◯ もそうだよね 他人◯ 自分が知っていて他人も認める自分 | 2 | 自分 ◯ 私ってこんなところがあるの 自分◯ 自分のことわかってないねぇ 他人 × 自分は知っていて他人が知らない自分 |
3 | 自分 × 私はそんなんじゃない 自分 × 君ってこんなところがあるよね 他人◯ 他人が知っいて自分で気づけない自分 | 4 | 自分 × 自分が知らない自分他人 × 他人が知らない自分 × 他人も自分もまだ気づいていない自分 |
今まで好きになれなかったひとと一緒に仕事をしてみたら、思っていたのと全然違ってとっても良い人だった」なんていう経験はありませんか?人は自分(他人)の半分までしか知ることができないのです。自分や他者を好きになれなかったり、認められなかっりする場合は、その半分の中の一部にしか目を向けていない(目を向けることができない)からということが多いのです。
自分も他人も自分のことを半分しかわかっていないのですから、「できると思える」事しかしないのは、今まだ出会えていない自分に出会うチャンスを捨てているようなものであるともいえます。
人間ですから先入観にとらわれてしまうのは仕方がないのですが、「自分の知らない自分がいること」「自分の知らない相手がいること」を意識して、自分や他人に接することで、世界は今よりももっと広いものになるのではないでしょうか?
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